子育て世代包括支援センター「にこにこ」視察2020/10/01 22:25

 ご無沙汰してしまいました。申し訳ありません。

 みなさまコロナ禍の中、いかがお過ごしでしょうか。小樽市もようやく市立病院のクラスターについて終息宣言が出され、堺町界隈も少しずつ賑わいが回復しつつあります。

 市民生活も次第に落ち着きをとりもどし、日常の1日1日をお過ごしではないかと思います。私も普通の1日がこんなに貴重なのだと改めて思い知ったところです。

 議会活動以外でもすこしずつ出歩いて様々な交流や打ち合わせも入ってきていますが今少し注意していこうと思っています。


 さて、今日は少し以前のことになりましたが、市の子育て支援新規事業がスタートしましたので内覧会に行ってきた報告です。

 入り口には手作りの飾りが迎えてくれました。靴を脱いではいります。


子育て世代包括支援センター「にこにこ」が開設されました。

妊娠・出産・子育てのワンストップ相談拠点として、子育て世代包括支援センター「にこにこ」が、9月17日に小樽市保健所内に開設されました。

  お母さんが相談している間に子どもたちが遊べます。


健康診断を外部に委託したため空いた保健所の2階スペースをきれいに改装して

これまでどこに相談すればいいのかわからなかった育児や子どもの発達の心配や不安なども気軽に専任の保健師が気持ちに寄り添い対応してくれるそうです。お子さんと一緒でも、お子さんを遊ばせながらお話しすることができますよ。利用が重なることがありますので事前に電話で御連絡をお願いしますとのことでした。

私も内覧会で新装の「にこにこ」見せてもらいました。靴を脱いで入った中の様子はとても清潔でゆったりとした雰囲気で、いらっしゃる親子の皆さんもくつろいだ中で日頃の悩み等を相談できるのではと感じました。

 ここに座って悩み事などに対応してくれるワンストップ談スペースいろんな窓口に行かなくて済みます。


そんな中で私が注目したポイントは16か月児健診、3歳児健診で使われている体重計。昭和60(1985年)年購入の年代物ですが今も検定の通った現役です。がっちりとした緑色で子どもがつかまる手すりもついています。この体重計のお世話になったのは小樽生まれの34歳以下の人たちおよそ25,000人。係の方も「多くのお子さんがこのはかりに乗り、成長を確認してきたことを思うと灌漑深いです。」とのことでした。

   みなさんも見覚えや乗り覚えはありませんか
  暖房にも柵が回され子供達の安全に気がつかわれていました。

 この後、国の臨時交付金を使って改装を行った1階のPCR検査等を行う部屋の様子もドアの外から見せてもらいました。
   

核のごみ最終処分場誘致文献調査応募2020/10/08 20:41

「核のごみ」最終処分場 文献調査について

私たちの未来10万年を2ヶ月で判断?! 

寿都町、神恵内村が共に同日応募!

 後志の寿都町が原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場誘致に向け、第1段階となる文献調査への応募を検討していることが813日判明。後を追って神恵内村も911日に表面化しました。両町村とも最大20億円の交付金が支給されることを理由に先を競うように住民説明会などを開き、結果多くの住民の危惧や不安をよそに共に本日10月8日に応募を事実上表明しました。寿都町はこの間2ヶ月、神恵内に至っては3週間で判断したことになります。地下に埋設された放射性廃棄物が無害化するには10万年かかります。そんな長期間安全に管理できる技術的な保証は全くないのが現状です。

 このような広く長く影響が及ぶことをこんな1町村が短期間で決めて良いのでしょうか。

  埋め終えたら人間が管理しないという発想だそうです。


 さらに寿都町長は第2段階の地質を調べる概要調査までやるとの強い意思を示していますし、国もいったん手を上げた自治体をおいそれとは手放してはくれません。


国の対応は

梶山弘志経済産業相は「関心を示してもらっているのは非常にありがたい」と歓迎したうえで、「市町村長と知事の意見に反して先に進まない」と説明していますが「断念する」とは言及していません。

経産省資源エネルギー庁は「市町村長や知事が反対すればストップするが、時間が経過し首長の翻意や交代で同意が得られれば、次の段階に進むことができるとしています。これまでの様々な強引な進め方から勘ぐれば調査に賛成する知事にすげかえるぐらいの事はやりかねないと私は考えてしまいます。

 

 

道内の動き

北海道は「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」1いわゆる核抜き条例を制定し核のごみを「受け入れ難い」と表明しています。よって鈴木直道北海道知事も「条例の考え方とは相いれない」として今回の調査応募に反対の意思を強く表していましたし、道内近隣自治体や市民団体、さらに小樽地区漁協組合長会など続々と調査応募に反対の意思表明や慎重な対応を求めて行動を起こしています。

1北海道幌延町に深地層研究所(高レベル廃棄物の地層処分研究施設)を、それまでの方針を翻して受入れ容認するに際し、作られた条例。「研究所はしょうがないけど放射性廃棄物の持込みまでは受け入れ難い」となっている。「絶対ダメ!」という禁止ではないため今回のような事も起きると言われる。

 

同じ後志の小樽市の判断は

一方、本市においては「高レベル放射性廃棄物の最終処分場の受入れ拒否に関する意見書」22012年小樽市議会第3回定例会において全会一致で採択し、それに伴う文献調査も拒否することを表明しています。

22012年当時、国が北海道を含む複数の自治体に対して、処分場確保に向けた「文献調査」を申し入れようとしており、その危機感から全会一致で採択した意見書。国に対し、「核抜き条例」や「三者協定」に基づき、高レベル放射性廃棄物の最終処分場は受け入れないこと、「文献調査」の申入れについては受け入れないことを求める内容。

 

私は99日一般質問で改めて市長の今回の寿都町の応募検討についての御意思と、その理由についてお聞きしました。

迫市長答弁

「本市では市議会での意見書(上記)が全会一致で可決されており、これが議会、ひいては市民の総意として、十分に尊重しなければいけないと考えていること、さらに、後志地域の主要な産業が風評被害などにより影響を受けることが予想されることから、文献調査への応募について賛意は示しかねる。」

 

また、根本的な課題として小規模自治体が人口減少や基幹産業の衰退等により財政的に追い込まれ、将来的なビジョンを描けなくなっていることが今回のような危ない橋をあえて渡る施策表明の原因の一つ。今回のコロナ禍もあり、同じような窮状にある他の自治体が追随することも十分に考えられる(案の定、神恵内村で調査応募が検討され出しました。)

よって、道は当事者として道内自治体が抱える根本的問題解決の道筋を示し、支えていくように、市は各自治体と連携して道に求めていくべきと指摘し、市長の見解を問いました

迫市長答弁

それぞれの自治体の首長が、将来の財政やまちの有り様に思いを致すのは、当然のこと。寿都町長は、今回の応募検討を通じ、自治体がこうした厳しい財政状況に置かれていることなどに、一石を投じられたのだろう。

私としても、これを契機に、自治体が抱える課題と解決について、市長会などを通じて、国や北海道に理解を求めていきたい。

 


このままでは道の条例に違反する高レベル放射性廃棄物の最終処分地受け入れに進む可能性があります。大きなイメージダウンにより多くの北海道の基幹産業に悪影響を与えるのは必至です。何より北海道の大地、私たち後志の足元を核のゴミで汚し、遠い未来の子孫たちに危害を加えることは許されません。よって、市長には道内各自治体と連携して、今回の応募で投じられた一石に正面からのまっとうな対応を求め、自らも行動するメッセージの発信をお願いしました。一方、私たち市民もこの小樽から状況を注視し、誘致反対の動きを皆さんと起こしていく時期に来ていると感じています。

 

 

 

 


 



松前の桜守 浅利政俊先生 今年も来樽2020/10/11 20:38

松前の桜守 浅利政俊先生 今年も来樽

 私も所属する小樽・朝里のまちづくりの会がすすめる朝里川遊歩道の桜並木整備にいつもアドバイスご指導をただいている松前公園の桜守浅利政俊先生(90歳!)に今年も来樽いただきました。相変わらず頭脳明晰、気概と愛情あふれる弁舌、今年もお元気な様子で会員一同大変感激の思いでお迎えしました。

 

      浅利政俊先生 お話が始まりました!


 さて、今年は桜並木の診断、アドバイスも例年通りお願いするのですが、実はもうひとつお迎えする理由があったのです。というのは先生の桜守としての活動とともにもうひとつのライフワーク、平和活動「函館空襲を記録する会」の活動を行ってきた事に対して昨年、反戦平和につくした人の功績をたたえる「遠藤三郎賞」を受賞されたのを祝うつどいを開いたのです。 

 

 浅利政俊先生は元函館の小学校の先生です。在職中から現在まで多くの子どもたちに戦争の悲惨さ、平和の尊さを語ってこられたそうです。この小樽でも小中学校で平和教育が続いてきていました。私も中学校教員時代、様々な機会に戦争と平和について取り組んできたので、大先輩ということになります。

 

 お祝いの集いでは今回はまず浅利先生が出演されたNHKテレビで放送された「海底に眠る青函連絡船」という番組を集まった会員の皆さんと鑑賞しました。 

  番組を録画で観賞会。最初に先生登場です。


 太平洋戦争末期に米軍に爆撃をうけ沈んだ輸送船「第四青函丸」が函館沖海中で発見されたという内容で、その発見に先生の「函館空襲を記録する会」の活動が大きく係わっていたということから戦争の被害が函館空襲や青函連絡船、輸送船への爆撃被害についての調査結果を番組冒頭で語っておられる先生が映っていました。

 

  終了後の解説。第四青函丸の構造図を使って


 番組終了後、先生からもう少し詳細な戦時の被害や船長のご家族の話等をお聞きしました。私にとっては子どもたちを前に語られる往年の先生の姿が目に浮かぶ貴重な体験でした。昔はこうした威厳と使命感に満ちた先輩の先生方が沢山いらっしゃり、思い出してしまいました。

コロナ禍のため盛大な会にはできませんでしたが、硝子の桜模様のランプを先生に贈呈したり私たちもおいしいお弁当も帰りにいただき、何より先生のお人柄のため暖かい雰囲気の会になりました。

 

       先生の指導のもとに桜の苗を植樹

   会員有志とご歓談 天気も良くて楽しいひと時

次の日は大変天気も良い中、朝里川遊歩道や桜見本園「百想園」で浅利先生からイギリスに先生の作った品種「かんざん」の苗(赤色が濃い八重桜)を送った話やここに植えられている「うわみず桜」は貴重でアイヌ民族との関わりがある品種なのでウポポイに送ろうというお話をお聞きしたりしました。

 是非、また来年も先生の御来樽を会員一同でお待ちしています!



活動報告41号発行2020/10/12 19:22

 佐々木つかさ活動報告第41号を発行しました。
今号は 小樽市議会2020年第3回定例会での私の一般質問を中心に構成しました。
  コロナ禍が収まりを見せない中、さらな市の追加対策の審議が先行して行われるなどしましたが、そこに降ってわいたように寿都町の核のゴミ最終処分場誘致のための文書調査応募の件がでてきました。同じ後志の町として見過ごすことはできず、緊急に質問を用意したところです。
 それではお読みください。



小樽運河の残されたシンボル北海製罐第三倉庫が解体の危機2020/10/14 14:03

小樽運河の残されたシンボル北海製罐第三倉庫が解体の危機

北海道新聞でも大きく報道されたように今、小樽の北運河に残る北海製罐第三倉庫の解体が現実のものになろうとしているようです。同じく北運河に残されていたはしけも老朽化のため今夏、残念ながら解体撤去されてしまったばかりです。

 

          月夜の第三倉庫 

小樽市指定歴史的建造物 第76号 旧北海製罐倉庫(株)

小樽運河の東側埋立地に建ち並ぶ主な施設群は、大正10年代から昭和101935)年にかけて建てられ、小樽の鉄筋コンクリート造では初期の建物です。旧第2倉庫は、現存する施設で最も古く、当時の埋立地の形状に合わせ外壁が一部曲面しています。第3倉庫は、建築当初から荷物を揚げ降ろしするためのエレベーターや製品を運河へ搬出するためのスパイラルシュートがあり、機能的な設計がされています。工場は、柱と梁の骨組に窓を組み込んだシンプルな外観です。事務所棟は、横長の連続窓が近代建築の特徴を表しています。 (以上、市HPより抜粋) 
小樽市指定歴史的建造物指定年は平成24年(2012年)1019日と比較的最近のことですね。

         市から示された北海製罐株式会社の配置図です。

  

何とか北運河ンシンボルとして保存活用の道はないものか。私の周りのかつて運河保存運動に奔走されたみなさんや、そうした運動は知らないけれど今の小樽が大好きでいろいろな活動を続ける若い世代のみなさんが声を上げ、何とかしたい!とアクションを起こそうとしています。きっと方々で同じように憂え、なんとかできるものなら残せるように協力したい、という声が上がっているのではないでしょうか。

 

幸い迫小樽市長も「北海製罐第三倉庫を何とか残したい」という同じ思いを持っていると私に語ってくれました。今まで市が指定した歴史的建造物の保存維持を一所有企業に委ねていましたが、それが無理となれば今後市として何ができるのか早急に決めていかなければなりません。ただでさえ厳しい財政の中ですが、市の素早い有効な対応策を待っています。

一方、市長もおっしゃっていましたが市だけでなく、市民のみなさんの熱い後押しがあってこそこうした事業を自信をもってすすめられるということです。市民や市民団体の思いを市と所有者に届けることで建物を残す事業を進める力になるし、さらに厳しい経営環境の中で頑張っておられる建物を所有されてきたホッカンホールディング株式会社さんにもお願いを聞いてもらえるのではと思います。

今後、多くの市民の声を形にして北海製罐第三倉庫保存活用の道を開く手助けを私もしていこうと思います。

 

以前に撮影したものです。この建物がない景観は想像できません。


そのために何点か確認したいことがあります。専門家の方にもアドバイスをいただいてまとめてみました。

 まずはあの建物が物理的に保つものなのか。お金をかければ損壊を免れる補修は可能なのか。それが無理ならば建物を取得しても無駄になりますから耐震診断等の結果とそのデータ分析が必要になります。

あの建物の建築としての価値について、小樽市の歴史的建造物というのはあると思いますが
そもそも近代化遺産や産業遺産としての価値や、国の指定などは受けられる可能性はあるのか。

群として保存するには、歴史まちづくり法、伝統的建造物群保存地区指定が急がれます。


具体的に市民運動として、できることは何なのか。

会社と市長宛にそれぞれ存続のための文書等での要請活動やコロナ禍の中ですがシンポジウムの開催も考えたいです。その際、これらの運動には色々な考えや立場があるでしょうが、基本的に足並みを揃え大きな声として活動することが大事と思います。これは市議会でも同じように会派を越えて取り組むべきことと思います。

いずれにせよ
建物を所有されているホッカンホールディング株式会社さんは厳しい経営状況から今年度中に解体したい意向とのことですからあまり時間はありません。今後、同じ想いの様々な方々や市関係者と連絡を取り合い、協力していこうと思います。